友人がこんな記事を送ってくれた。
昔の人は、なぜ不便な山村に暮らしていたのか?
それはそこが豊だったからだ。大地が豊かな水と食べ物を生んでくれたからだ。
でも時代は変わった。
かつてこんな記事を書いたことがある。
田舎の景色とは、人がそこで生活しているから、美しい農村の景色となる。
人がいなくなれば、住人がいなくなれば、そこではやがて野生に戻る。
日本の景色は決して無限ではない。
大雪が降っている夜は静かな夜になる。それが雪の音。
先週末からの寒波で日本海側は大雪だ、と母親からメールが届く。とりわけ僕の実家は山沿いにあり、寒波が来ると一日で50cmも簡単につもる。そしてその寒波が日本海側を襲い、現在1M以上の雪が積もっているという。屋根の上には同じく雪が積もっている。雪って非常に重たいもの。重さで家がつぶれてしまう可能性もある。でも、僕の両親は、1M以上積もった雪屋根に上って雪を下せるほどもう若くない。
ネットで調べてみると、雪下ろしのボランティアであったり、アルバイトはどうやらあるようだ。僕が東京にいるために、雪下ろしができない。まずはその情報をシェアしよう。
これから家はどんどん古くなる。若者はどんどんいなくなる。かつて家族総出でおこなった雪下ろしは、どこの家もきっとできなくなる。かつての光景は、今では懐かしい光景となった。
そういった環境下では、その他に住むこと自体が持続的ではなくなる。これは僕の実家・故郷に限らない。日本全国の地方に同様に起こっているし今後さらに悪化する。雪おろしに限らない。食料調達もインフラも含め、生活していくこと自体が難しくなっていく。明治・大正・昭和のシステムでは限界にきている。
事業とは社会のニーズから生まれる。
どんな事業がこのニーズにこたえらるか?
どんな事業なら日本の農村を持続的にするか?
農村を再起するのは政治家か?事業家か?
故郷に住む姉から写真が届く。
塞ノ神・歳の神:「さえのかみ(賽の神・障の神)」と言われる行事。
神様を祭るこの風習様々な呼び方がある。東北地方では歳の神(さいのかみ)・歳の神焼き、西の方では差義長(さぎちょう)、新潟でも様々。姉の住む土地では塞ノ神。全国的には「どんど焼き」として親しまれている風習。地域により時期は違うが、小正月(1月15日頃)におこなわれる。
歳の神には、去年飾った正月飾りなどを藁とともに燃やして無病息災を祈願する。
全国には、北海道から沖縄までこの行事が存在するという。
不思議なものだ。日本の悠久の歴史を感じる。
いつまでも残ってほしい。
あわんとり(千葉県南部・茨城県南部)
お焚き上げ(神社で行事としてする場合)
おんべ焼き(単におんべとも)
御柴灯(おさいとう)
かあがり(長野県南佐久郡小海町、南佐久郡南相木村、北相木村)
かんじょ(新潟県村上市岩船)
さいと焼き(神奈川県横須賀市鴨居八幡)
さぎっちょ(富山県、石川県、福井県、岐阜県、高知県、福岡県)
しんめいさん(広島県東広島市安芸津町)
道祖神祭り
とうどうさん(愛媛県東予地方)
とんど(奈良県、広島県、岡山県)
とんど焼き(近畿とその周辺、東京都)
とんど正月(兵庫県播磨地方)
どんと
どんどや(九州)
どんど焼き(山梨県の一部地方、愛知県の一部地方)
どんど焼き(群馬県、愛媛県南予地方)
とんどさん(鳥取県)
どんどん焼き(山梨県の一部地方)
ほっけんぎょう(九州)
やははいろ(東北)
昨年来、Air bnbやUberのことを日本でも頻繁に耳にするようになった。日本では規制上Air bnbやUberはまだまだマイナーな存在だが、世界を見渡せば既にメジャーな存在だ。アメリカの友人にUberって使ったことある?と聞いたところ、「Wow 僕はまだ200回しか使ったことがないよ」と返事がきた。
このAir bnbやUberには一つの共通点がある。それは稼働していないモノ(家・車)を活用し、ネットを通し需要者とを結び付け稼働率を上げようというビジネスモデルだ。いつものことではあるけれど、こういったinnovationは誰でも思いつきそうなビジネスでありながら、誰も思いつかなかったビジネスであり、やはり最初にアイデアを具体化・具現化した人はすごいと思う。
さて、この稼働率というものに視点を絞ると、「稼働率向上型ビジネス」には、まだ多くの可能性がありそうだ。たとえばレストラン。常時満席のレストランはさておき、多くのレストランは顧客獲得に悩みを抱えているのは事実だろう。また、実際レストラン閉店後、あるいは午前中などは、「箱」はまったく稼働しておらず、その空間は眠ったままのお店も多いことだろう。一部では、午前中に稼働していないレストランの空間を会議室用途に貸し出すサービスなども存在しているが、数千、数万のレストランオーナーにとっては、如何にこの”稼働率”を上げるかが大きな挑戦となる。飲食業界がUberから学べることはたくさんあると思う。例えば、とあるレストランに5席の空席があるとしよう。「これから予約をした人を半額にします」という情報をAPPに流す。そうするとそれを受けたっと顧客が「OK」と思えば、そこで予約は成立する。国民の多くがスマホを持ついまだからそれは可能になる。
本題に入ろう。僕は、この日本という「箱」は仕組みを変えれば一気に「稼働率」があがると思っている。それは休日や祝日のタイミングだ。言うまでもないことだけれど、この日本という国は、GWや連休など、皆同じように休みをとり、皆類似した行動をとる。だから渋滞が発生し、料金はつり上がり、人気の場所はいつも満室・満席だ。だから、せっかくのお休みでも渋滞と人の波にのまれ、結局は休むどころか、さならる疲労に襲われる、なんていうことはよくあることだと思う。この現象の根源にあるものは、皆が一気に押し寄せるからだ。それは皆同じ日に休みや休日が来るからだ。
こうしてみてはどうか?日本全国を市町村ごとに週末の定義を変えるのだ。A地区は、月火が週末。B地区は水木が週末といった具合に。祝日の日付は変えることはできないが、それを利用できる権利も柔軟に決めることができるとする。こうすることで、日本人の行動を大きく分散することができる。理論上、渋滞は分散され、旅をより快適にすることができる。また、供給者サイドのホテルや旅館としても大きなメリットだ。今日、週末や特定の連休には賑わうが、それ以外は閑古鳥が鳴いているなんてこともよくある現象。だからこそピーク時に値段をつり上げて稼ぐわけだ。そうしないと事業が成り立たない。もし、安定した需要があれば価格だって抑えられる。そう、稼働率が上がることは、需要者にも供給者にもメリットとなる。
この仕組みの重要なポイントは、まず大きなお金がかからないことだ。あくまで決め事だから、意志さえあればまったく不可能であはない。インバウンド、移民など、”外国人”の力を借りた経済喚起は、どうしても不確実性が多い。しかし、この取り組みは極論明日からできる。想定できるデメリット?家族・友人・知人が異なる週末になるから会えない?否、だから市町村ごとに定義をつくる。別に都道府県単位でも良い。それで親しい人は基本同じ生活のリズムになるはずだ。
明治以降、中央集権制度のもと、北は北海道から南は沖縄まで、すべての日本人が同じルールの下で生を営んできた。それが成熟した現代社会では多くの問題の根源になっていると思う。ちょっとルールを変えるだけで、まだまだ多くのポテンシャルがこの国にはあると思う。渋滞なく、混むことなく、安く、美味しく、楽しく、地方を旅しはみたくないだろうか?
どうでしょう?
実は、年末から原因不明の発疹が体中に出ていて、痒くて仕方ない。最初は我慢していたが、その規模は拡大し、これは明らかにアレルギー反動だ。両足は股のあたりが真っ赤にはれ上がり、腕にも赤い発疹が出ている。あまりの異常事態のため医者に行き血液検査をしたところ、蟹やエビといった何か特定のモノにアレルギーではないことがわかった。ドクター曰く、ミャンマーで何かウイルスが口から入ったのでは?ということだった。しっくりない抽象的な結論だが、ひとまず飲み薬と塗り薬を塗り日々を過ごしている。今日になってようやく腫れが引いてきた。以上
オバマ大統領。8年間本当にお疲れ様でした。アメリカという大国を、そして世界経済、アメリカ経済が多くの困難に直面する中、あなたは立ち向かった。ジャーナリストやメディアは、様々な批判をいうけれど、オバマ大統領は僕の中のヒーローでした。
貴方の言葉にどれだけの人が勇気づけられたことか。もちろん僕もその一人です。感動です。
オバマ大統領の最後のスピーチ。
Thank you for everything.
大阪へ出張。
久々の大阪です。
途中、車窓から見えた富士山。
ニッポン、という感じです。
Crave Guideから、香港とマカオにおけるTOP150レストランに選出されました。
手前味噌で恐縮ですか、高級日本料理部門では最優秀賞をいただきました。心より感謝いたします。
つくづく思う。田舎は素晴らしい。水も空気もおいしく、自然も目に優しい。人々も温かい。何より食べ物が本当においしい。地元で食べる刺身は東京で食べるものとは比較にならない。昨日は、家の畑からほうれん草を取ってきて炒め物にした。ほうれん草があんなに”甘い”食べ物だということを改めて思い出した。東京にはない味だ。
この豪雪地帯で過ごしていた高校時代は、東京や都会の街にあこがれたものだ。でも、都会で長いこと生活をしていると、歳を経るにつれ、不思議なもので故郷が懐かしくなる。最近思う。必ずしも全員が田舎らしい田舎を持っているわけではないということを。そうだ。こんな田舎を持つ僕は幸運だしこの田舎を誇りに思う。
高度成長期により、日本は列島全域に新幹線と高速道路網を配備した。奇しくもこの大プロジェクトの発案者である田中角栄氏が率いた新潟は最大の恩恵を受けた。フル規格の新幹線がかつて”裏日本”といわれたこの雪国に表舞台への参入を許した。そして人々はmobility (移動性)を得た。北陸でも、東北でも2~3時間もすれば簡単に東京へいくことができる。
結果何が起こったか?交通網の整備が物流はじめ様々なビジネスに大きなイノベーションを起こしたことは言うまでもないが、その背景でこの数十年間着実に進んだのは、若者の流出だと思う。実際、僕の高校時代では、およそ半分くらいの同期生が東京をはじめとした都会へ進学した。そしてその後、多くの若者がその都会の地で就職したに違いにない。実際僕自身もその道を辿った。この栄えある若者の都会への移動を全国単位で毎年繰り返してきた。それも着実に、半世紀に渡り。そうすれば、若者が地方にいなくなるに決まっている。この現象は、都会に全てを一極集中した日本の政策の合理的・数学的な帰結だ。
都会に進出した若者はその地で生を営んでいく。時間の問題で田舎の両親もいなくなってしまう。そうすれば実家も田舎もなくなってしまう。既に、この現象は日本全国で起こっている。実際同年代の友人の中にも田舎をなくした人は既に非常に多い。
そういった”いわゆる”空き家になった家の数は今後更に増加していくことだろう。そして大事なことは、望郷の思いを持つ田舎をなくした人の数も今後更に増加していくに違いにない。そう、近未来において、日本昔話のような世界、懐かしき田舎の世界が希少性を持ち、付加価値を持つ時代が到来する。
その時、地方には様々なチャンスも生まれてくる。
逆境をチャンスへ。
提供する価値は「田舎」だ。
2017年元旦
本年もどうぞよろしくお願いします。
スキー場(雪は無いが)から眺めた越後平野と日本海。
あっという間の一年だった。昨年末の総括からちょうど1年。今年はどんな一年だったか?自問してみる。
思いあたる言葉は「忍耐」だったように思う。上手くいかないこと、期待した通りに展開が進まなかったこと、そんなことが本当に多かった。時には心が折れそうなほどな困難を強いられた時もあった。その都度忍ぶことを強いられた。でも、今回のミャンマーへの訪問は自分にとって大切な栄養となった。それはアウンサンスーチーさんが過ごした地に訪問できたこと。自分の信じる道を諦めることなく、責任を放棄することなく、15年という長きに渡る軟禁を彼女は耐え凌いだ。そして今日、彼女は一国を動かしている。そんな地に足を踏み入れたとき、自分の苦悩、あるいは苦悩と思っていたことが如何に小さいことかを気づかされた。Think Big. Do it at any cost. そう後ろから言われたような気がした。自分の小さを思い知らされた。
香港の事業を振り返りたい。2015年のカオスな創業期からは2016年は礎をつくる1年だっと言える。会社の母体となるチームメート数も倍以上になった。一人、そして一人、Ahead of the Curve という船に乗船してくれた。少しずつ、会社としての基礎も整備されていった。営業スペースの拡大。酒器展の開催、アーティストのコラボレーションによるイベント、一歩ずつ、一手ずつ、香港という街に”日本”の発信を試みた。そして確かな手ごたえを掴んでいった。
つくづく思うこと。それはアクションからしか何も生まれないということ。成功も、失敗も、喜びも、忍耐も、出会いも、人間関係の好き嫌いも、アクションからしか生まれない。アクションがなければ、それはすなわち”無”だ。2016年、自分自身への反省はそのアクションへの情熱、準備のスピード、そして頻度は、決して満足できるものではなかった。自分に対して、そこは厳しく指摘したいと思う。
何はともあれ、2016年を全うし生き抜けたこと。会社としての礎を築けたこと。そして健康的にも問題なく体が機能できたこと。その点は2017年へしかとつなげたい。
あと数時間でこの2016年ともおさらばだ。2017年はアメリア大統領の交代はじめ、世界では様々な局面で風向きが変わることだろう。中国経済にも様々な見方もあるが、大国としての力はまだまだ増大していくだろう。その狭間に存在する香港も大きな変化を強いられることになるだろう。そして日本だって同じだ。訪日外国人の増加、そして2020年へむけた熱の高まりにつれ都会には少なからず追い風が吹くだろう。一方、力のない地方の農村は更に力を失っていくだろう。
外部環境とはいつの世も”良くも悪くも”変わっていく。その環境の変化に身を置いているだけでは、生き残ることは、もはや運でしかない。そうではなく、自ら環境をつくっていく、自らが変化となっていくこと。大それたことは言えなけれど、ガンジーの言葉は肝に銘じておきたい。
You should be the change that you want to see in the world -Mahatma Gandhi-
読者の皆様。2016年、僕のブログに訪問してくださり本当にありがとうございました。僕の旅路はこれからもこれからも続きます。2017年も引き続きどうぞよろしくお願いします。
それでは良いお年を
帰国した成田から、そのまま故郷新潟へドライブ。
関越自動車道の途中、湯沢にて。
南国から一転、白銀の世界へ。
温度差ざっと30度。
短パン、サンダルで運転中。
綺麗な夕日とジャングルを侵食する人類の文明。
10年後、きっとこのジャングルはなくなっているかもしれない。
Goodbye Rangoon and see you again
ヤンゴンから車でおよそ5時間。チャイティーヨ・パゴダと呼ばれる信仰地がある。通称「ゴールデンロック」。その神秘的な様相から知る人も少なくはないと思う。しかしその神秘的な世界とは裏腹に、その地に達するには想像もできないほどの、笑っちゃうほどのアドヴェンチャーがまっている。僕は、今日そこに挑戦してきた。
ふもとの村から、このピックアップ(超満員)で1時間ほど山道を爆走する。乗り場には乗車賃2,000K including Life-insuranceと書いてある。笑ってしまう。リアルビッグサンダーマウンテンの始まりだ。
さぁ、出陣
ヘロヘロになり頂上へ。そこには山頂の商店街あり。
そしてようやくゴールデンロックへ。(ホテルをでて6時間後くらいか・・・)
左手をあて、2016年の感謝と2017年にむけてお祈りをした。
感想
ここはまだ外国の観光客による影響が少なく、信仰や街並み、そしてdangerousな交通など、地元の真の姿がまだ色濃く残っている。さりながら、2017年4月にはどうやらロープウェイが完成するらしい。そうすれば、山の麓から山頂まで人々を運ぶビッグサンダーマウンテンも姿を消すだろう。そして商流も大きく変わるだろう。多くの観光客をもっと効率的に運びことができるようになるだろう。経済の発展と地元固有の文化(アドベンチャー含む)はいつも逆相関だ。きっと、今日僕が体験したアドベチャーはpricelessだ。そう思う。幸運だった。
さぁ、6時間かけてヤンゴンへ帰ろう。
帰宅時、タクシーで移動。車は決まってトヨタの中古車。運転手は得意げに僕に話しかける。「俺は日本が好きだ。日本の歌もいくつか知っている」そこでかかってきた歌は「酒と泪と男と女」。
運転手さんとヤンゴンの街で大声で合唱。
そしたら、横からナンバープレート無しのSUZUKIの軽トラが割り込んできた。
不思議な空間だ。非日常の世界。