日本酒造は元来雪国に適していた。なぜか?雪から生まれる潤沢な水。そしてその大地から生まれる良質なコメ。そして酒造りの過程での温度管理にも雪がうまく機能した。我が故郷新潟で酒造りが発展したのにも地理的な理由がある。現在でも新潟には92の酒蔵が存在し、その数は全国一。
新潟の酒を全国的に有名にしたのが佐々木久子氏。雑誌『酒』の編集長であった随筆家の佐々木氏が越乃寒梅に着目し、1963年に『週刊朝日』誌上で越乃寒梅を紹介。そこから越乃寒梅は幻の酒として全国的なブランドになっていった。それを切欠に新潟の酒は地酒ブームの先駆けとしいつしかブランド化していった。
50年以上たった今、新潟の酒を新潟以外で見つけることはあまりない。ブームは等に終わった。むしろ現在では逆だ。「越」の何とかという名前が入っているだけで毛嫌いされるくらい、新潟の酒が敬遠されると聞いたこともある。一気に有名になり、傲慢になり、進化もなく、味がおちた、ということではないかと推測する。
時同じくして、時代は進化した。酒造りは地理的要因に左右されなくなった。米は良質なものを輸送すればよい。温度管理は空調があればできる。実際、全国ブランドとなった獺祭は、兵庫から山田錦を調達し空調管理を徹底して酒造りをしている。その様相は蔵というよりも正に生産工場だ。獺祭に限らず、全国で様々なお酒が誕生している。挑戦と努力の賜物だ。
さて、本題にはいろう。
面白いお酒に東京で出会った。
その名も「越乃寒梅 純米吟醸酒 灑(さい)」
45年のぶりの新商品だ。
日経新聞も驚いた。重い腰(越)を上げて、ようやく新しい挑戦に動いた、と巷に言われてもしょうがない。時代は変化していく。その変化する時代の中で、過去の栄光など何の役にも立たない。必要なのは飽くなき挑戦と進化。
新潟の酒が今一度全国で咲くことを祈っている。
新潟から全国へ。
そして新潟から世界へ。
<おまけ:はまぐり君>