「行ってきます」ではない、
俺たちは「行きます」と言ってこの地を発った。
戦後70年。
あの時代に青春期を過ごした祖父からは、何度もこの話を聞いた。
出兵するときの、村の団結式でのことだそうだ。
行って来ます、つまり行って帰ることは前提になく、若者たちは戦地へ旅立った。
「行きます」
この数年、実家に帰るたびに戦争の話を聞かされた。
同じ話は何度も聞いた。何十回も聞いた。
年を経るたびに、同じことを言う。
でも、この話を忘れてはいけない。
もう聞くことはできなくなる。
そんな思いで僕も真剣に聞いた。
9月20日、僕は37歳になった。
自分の誕生日が祖父の命日になるとは思わなかった。
たまたま奇跡的に僕は実家にいた。
心臓マッサージを初めて本気で試みた。
思いは届かなかった。
91歳の大往生だった。
でも、前日に最後に共に酒を飲み交わせたこと。
僕は一生忘れることはないだろう。
祖父は、戦後出兵先から戻りゼロから事業を起こした。
最も大変だったことは親方がいなかったこと。
暖簾もなければ、信頼もない。
すべてはゼロから事業を創造した。
60年以上たった今、その会社は今でも、地域で一目おかれる存在として事業を営んでいる。
僕たちは、戦後第一世代の果てしない挑戦と努力の上に成り立っている。
日本人はそのことを忘れてはいけない。
葬儀には、地域の多くの方々が訪れた。
祖父が地域社会に残した足跡は大きい。