Ahead of the Curve -日本から世界へ-

~日本、世界、社会を考えるブログ~

人才流入

6年前に書いた記事。

中国の先行きが怪しくなってきたけれど、これからもアジア経済が世界経済を牽引することは間違いない。 

 人材外流(レンツァイワイリウ)。“人材の国外への流出”を意味する中国語。これは、以前中国語を学んでいた際にテキストに出てきた生词(新しい単語)だ。テキストによると、中国では優秀な人材が留学などを通し、国外へ流出していることが国内の人材の競争力低下を招き、結果的として国家的問題となっている。中国政府は人材の流出を防ぐべく、国民の留学に制限を設けるべきか否かを国家戦略的に考慮せざるを得ない状態にあるというのがテキストの主なテーマだ。

 

テキストが古いため、この話自体は真新しい話ではない。だが、こうした“人材外流”の潮流は加速しており、現在でも中国人留学生の数は統計的には増加の一途をたどっている。無論、このことは決して中国特有の現象ではない。そう、日本も同じような境遇にある。技術者、芸術家、スポーツ選手などの優秀な人材は、様々な規制、様々なしがらみが跋扈する日本を離れ、皆新たな土地を目指す。その行く先はアメリカ。

 

「1000年後の社会をつくる」でも論じたけれど、アメリカという国の強さの一つは、世界から集まった優秀な人間。優秀な人間が新しい機会を創造し富を生む。その機会と富を求めて更なる優秀な人間が集まる。その循環こそ、他国が持たないアメリカならでは特徴といえよう。

 

一方、近年、アメリカで教育を受けた人々がアジアのビジネスチャンスを求めて、アジアへ還流しているのも事実。かつてアメリカに存在していた機会と富がこのアジアからも次から次へと生まれているというわけだ。とはいえ、そんな優秀な人間たちの多くが最初に視野に入れるのは、やはりアメリカ。

 

となると、次なる発想が脳裏に沸く。世界舞台に人材を多く輩出するそのアジアにそもそも最高の教育機関を作ってはみてはどうだろう。アジアでのビジネスチャンスに加え、教育という軸で、世界から有能な人材が集まる仕組み作ってみてはどうだろう。

 

アジアで普及する欧米型ビジネススクール

近年、アジアでは多くのビジネススクール - Wikipediaが生まれている。アジア経済の発展に後押しされてのことか、中には世界で着実に知名度を高めているスクールも存在する。これは同じアジア人として喜ばしいこと。だけど、そういった大学院が果たして“アジアで生まれた”ことをどこまで強調できているのかは疑問が残る。基本的には多くのアジアのビジネススクールとアメリカのビジネススクールが使用する教材は類似している。そこで学生たちは、同じようなスタイルで、同じようなフレイムワークを学ぶわけだ。ご存じ、ビジネススクールとはそもそもアメリカで生まれた教育体型。アメリカの後追いを続ける限り、本流のアメリカのビジネススクールのレベルを超えることはできないと思う。ではそうするか?そこで考えてみたいのが、以下で僕が提案する“TERAKOYA of Asia”だ。

 

新しい教育体系を構築

僕の提案するTERAKOYA of Asiaの構想は以下となる。

 

第一に、低授業料を実現する。現在、アメリカのトップビジネススクールでは、授業料や教科書の費用だけでも2年間で1000~1300万円はする。それに加え、2年間の生活費で数百万円。更には、“働かない”という機会コストとして、大きなコストがかかる。となると、ビジネススクールに在学する2年間とは3000万円位~4000万円の投資になると言っても決して過言ではない。卒業後、投資銀行に就職して大きなお金を稼ぐ人ならまだしも、常識的にそれだけの額を普通に支払うことはできやしない。

 

僕の提案はこうだ。まず、授業料に関して、AプランとBプランを作る。Aプランは従来通りの授業料を支払ってもらう。一方、Bプランでは、授業料を徹底的に安くする。 同時に、学生寮使用の優先権を付与するなどし、生活のサポートを徹底的に行う。そうすることにより、金銭的なハードルを一気に取り除く。そして金銭的な問題がネックとなり踏み出せなかった多くの人材に新しい“機会”与えることができる。無論Bプランでは以下に説明されるように一つ条件が課される。

 

第二に、TERAKOYA of Asiaとは、アジアの企業、国々を巻き込んだ、地域戦略的な教育機関となる。上述のように、低授業料を実現するには、大学の運営のために外部からの金銭的な支援が必ず必要になる。まして質の高い授業を実現するには、優れた教授陣あるいは研究機関が必要になる。となれば、そうしたコストも膨大な額にのぼるだろう。ハーバード大学は、卒業生の偉大なる寄付のおかげで財政はすこぶる健全だが、学校創設時には、卒業生からの寄付など存在しない。よって、学校運営費用は、Aプランを選択した学生が支払う授業料に加え、アジアの企業と国々、そして長期の学校運営に賛同できる方に支援してもらう。

 

ただし、支援の仕組みに味噌がある。学校キャンパスは、支援国家に分散して建設し、その分、インフラ建設にかかるコストを分散し低く抑える。また、Bプランを選択した学生には卒業後アジア企業への就職を義務付け、支援企業に対しては、優先的にドラフト会議の権利(人材を指名する権利)が与えられる。これにより、喉から手が出るほど有能な人材が欲しい企業の支援へのモチベーションを維持できる。もちろんこれらの仕組みに不服がある学生は、途中でもAプランに変更し、全ての費用を独自に賄ってもらえば、それで話がつく。後腐れは一切ない。こうすることにより、莫大な費用がハードルになっていた多くの若者たちに新しい機会を提供することができることに加え、それは結果的にアジアからの人材の流出を防ぎ、「一つのアジア」としての成長に繋がる。

 

第三に、支援国家としては、第一弾として日本と中国と韓国が主導する。キャンパスは、上述のごとく、それぞれの国に一つ作る。これは同じブランドでシンガポールとフランスにキャンパスをもつ世界のトップ経営大学院INSEADに構造は近い。無論、授業は英語で展開される。学期は、2年で3学期制にする。つまり一学期は8ヶ月(休暇含む)。そしてそれぞれの学期を日本、中国、韓国で過ごす。もともと寮生活を前提にしているので、移動コストはそこまで大きくはない。TERAKOYA of Asiaのコースの中にはアジア言語の習得を組み込む。学生たちは、ファイナンス、マネジメント、ストラテジーなどのコア科目と共に、それぞれの国の文化と現地の言語を学ぶ。授業には、常に生の題材を持ちこめるよう、アジアの多くの企業に生の情報やケースの題材を提供してもらい、欧米生まれのMBAと血筋も、毛並みも違うアジア独自の新しい教育体系を世界に提案する。

 

僕の提案における最大の狙いは、学生の人材の流出防止と共に“アジアの連携”にある。学生たちが、アジアの国々のそれぞれの文化を学ぶことにより、結果として国家間の多くのしがらみを取り除くことができる。こんにち、アジアの国々、とりわけ中国、韓国、日本の間では過去の戦争問題が前進への大きな障壁になっていることは周知の事実。“歴史は人が作る”というが、正にそれは本当で、それぞれの国は自国の論理に基づき戦争の問題を若者たちに教育している。結果として、それぞれの国が皆バラバラな認識を持ち、発言をするようになった。

 

もちろんそういった教育を受けた若者は、歴史に対して全く異なった見方をすることになる。読者の皆さんも経験したように、日本の教育では日本の軍国主義のことなどほとんど学ぶことはない。一方、中国では日本人が知るものとは異次元の戦争教育が進められた。結果的に、戦後60年以上たったこんにちでも、多くの中国人が日本人に対してマイナスのイメージを持っているのは事実。そしてこのことは韓国人が内心で日本人に対して思っていることと同じでもある。60年以上たって、しかもこれほどに地理的に近接している国々が、いつまでこのような愚かなことを続けるのだろ。今、アジアは前を見なければならない。戦後ヨーロッパが50年かけてEUを実現したように、アジアも前へと歩まなければならないのだ。ただし、政治だけでは前進は難しいだろう。それは、60年たった今でも解決しなかった事実そのものがその難しさを物語っている。僕は、TERAKOYA of Asiaが解決の一つだと踏んでいる。要は“教育”という軸からの解決だ。

 

Make Asia One ~アジアを一つに~

TERAKOYA of Asiaでは、日本人は、プログラムを通じて中国と韓国に行きそこで生活し現地の文化と言語を学ぶ。韓国人、中国人にも同様に日本のキャンパスに来てもらい、日本の教育を日本で感じてもらう。無論、学生は中国人、韓国人、日本人以外にも、多くの国から募集する。更に、TERAKOYA of Asiaには、“アジアの前進”という授業を設ける。内容は、それぞれの国の歴史感を学びながらも、それだけでは感情論に突入するので、最後のチームプロジェクトでは、「60年も解決しなかった戦争問題を解決するためには、どういった手法がとられるべきか?」を課す。チームは必ず多国籍の編成にする。このようなシステムを設けることで、透明性の高い前向きな思考を学生たちに促すことができる。そして結果として、歴史への固執よりも、「前進の重要性」を学生たち自身に学ばせることができる。

 

こんにち、ビジネス、歴史、文化、多国籍を同時に組み入れたプログラムを実現している教育プログラムは僕の知る限り世界には存在しない。多くのビジネススクールは若い国、アメリカのスタイルを土台にしているのだから、悠久の歴史との融合が授業に存在しないのは言うまでもないこと。

 

いずれ、キャンパスはインドやベトナムなどにも併設する。そこでも上述と同じように、その国の言語と文化を学ぶことを学生たちに課す。学生たちは、ネットワークの中から3カ国を選択し、TERAKOYA of Asiaプログラムを受講する。学生たちには、アジアを一つとして考える機会を与える。そしてその連続は、卒業生の増加と伴いアジアの距離を確実に近くする。そして、偏ったナショナリズムを克服し、それぞれの文化と歴史を尊重できるグローバルリーダーたちがアジアの経済や政治に生まれることにより、アジアの岩盤は厚みをます。このことは、経済という軸をもって融合したEUとは一味も二味も異なる進化となる。TERAKOYA of Asiaは、教育という軸をもって国家間のつながりを強化する新しい試みとなる。

 

1903年、岡倉天心はこう言っている。「やがてアジアは一つに」。それが実現に。

 

提案は以上となる。僕は利害関係の最も少ない“教育”というパイプを通じたアジアの協調こそが結果的に大きな飛躍を生むと考えている。アジアならではの悠久の歴史があるからこそ実現できる教育が必ずそこには存在する。そこから生まれる最高水準の教育は、やがて世界へと挑戦する。そしてその時、世界のリーダーたちはアジアの教育に目を向けることになる。その時人才外流は終止符を打ち、人才流入(レンツァイリウルー)が始まるだろう。