Ahead of the Curve -日本から世界へ-

~日本、世界、社会を考えるブログ~

三个世界文化遗产

瀋陽という街についた。第一印象は瀋陽駅のデザインが東京駅に瓜二つということ。これは偶然ではなく意図してそのようになっている。なぜなら、日本人が建設したからだ。この建造物は正に満州国時代の名残であり、時を経ても褪せない歴史がまずは最初に僕を出迎えてくれた。

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街は広く道は広い。空気は真夏にも限らず、既に厳しい冬の到来を感じさせるようにどことなく冷たい。瀋陽は、中華人民共和国建国以降は重化学工業都市として急速に発展した街だ。一方、歩きゆく人々からは中国人ならではの活気やエネルギーを感じる街ではあるが、工業としての活気は既にピークアウトしたのでは?そんな印象を受ける街。どことなくさみしい街。

 

まずは昼ごはんを食べよう。創業180年の餃子屋さん「老边饺子馆」で餃子をむさぼる。戦後満州から引きあげた人たちが日本各地で餃子を広めた。遠い昔、きっとこの餃子に感動して日本に持ち帰った先陣が多数いるに違いない。餃子をかみしめながら、歴史を心でかみしめた。

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瀋陽では、満州や日本の雰囲気は残っていない。駅が東京駅に似てるくらいだ。街にもこれといったエンターテイメントも存在しない。しかし、重要なことは中国の王朝「清」がこの街から始まったという史実だ。第1代である愛新覚羅ヌルハチが王朝を築きその故宮が今でも存在している。第2代の愛新覚羅ホンタイジまで瀋陽で政権を続け、その後、明を撃退した後は北京の紫禁城へと拠点を移す。その第12代目が愛新覚羅溥儀でありラストエンペラーとなる。溥儀が満州の皇帝に戻った時、日本の関東軍の満州を傀儡国家運営しようとする策略とは別に、溥儀自身にもその地へ戻る意味があった。理由があった。一族が始まったその地へ。溥儀は愛新覚羅一族の再起を満州国に託した。

さぁ、行こう。世界遺産「瀋陽旧故宮」へ。

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ヌルハチの玉座

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そして、初代皇帝ヌルハチの陵墓である世界遺産「福陵」へ

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そして電車、タクシーを乗り継ぎ、第二代皇帝ホンタイジの陵墓ある世界遺産「昭陵」へ。

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短時間に三つの世界遺産を駆け抜けた。足はパンパンだ。そして瀋陽で見れるものは、ほぼこれで全てといえる。でもこれらの歴史を辿ることは意義深い。ラストエンペラーとなった溥儀にいたるまでの清王朝の栄枯盛衰は、あまりもに鮮やかであり、あまりにも儚い。この目前に広がる歴史のスペクタクルに心をうたれながらも、僕の脳裏には一説の詩が浮かんだ。

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

溥儀が再起をかけた満州帝国の首都である新京(長春)への訪問はいよいよ明日だ。