Ahead of the Curve -日本から世界へ-

~日本、世界、社会を考えるブログ~

田舎をもつということ

つくづく思う。田舎は素晴らしい。水も空気もおいしく、自然も目に優しい。人々も温かい。何より食べ物が本当においしい。地元で食べる刺身は東京で食べるものとは比較にならない。昨日は、家の畑からほうれん草を取ってきて炒め物にした。ほうれん草があんなに”甘い”食べ物だということを改めて思い出した。東京にはない味だ。

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この豪雪地帯で過ごしていた高校時代は、東京や都会の街にあこがれたものだ。でも、都会で長いこと生活をしていると、歳を経るにつれ、不思議なもので故郷が懐かしくなる。最近思う。必ずしも全員が田舎らしい田舎を持っているわけではないということを。そうだ。こんな田舎を持つ僕は幸運だしこの田舎を誇りに思う。

 

高度成長期により、日本は列島全域に新幹線と高速道路網を配備した。奇しくもこの大プロジェクトの発案者である田中角栄氏が率いた新潟は最大の恩恵を受けた。フル規格の新幹線がかつて”裏日本”といわれたこの雪国に表舞台への参入を許した。そして人々はmobility (移動性)を得た。北陸でも、東北でも2~3時間もすれば簡単に東京へいくことができる。

 

結果何が起こったか?交通網の整備が物流はじめ様々なビジネスに大きなイノベーションを起こしたことは言うまでもないが、その背景でこの数十年間着実に進んだのは、若者の流出だと思う。実際、僕の高校時代では、およそ半分くらいの同期生が東京をはじめとした都会へ進学した。そしてその後、多くの若者がその都会の地で就職したに違いにない。実際僕自身もその道を辿った。この栄えある若者の都会への移動を全国単位で毎年繰り返してきた。それも着実に、半世紀に渡り。そうすれば、若者が地方にいなくなるに決まっている。この現象は、都会に全てを一極集中した日本の政策の合理的・数学的な帰結だ。

 

都会に進出した若者はその地で生を営んでいく。時間の問題で田舎の両親もいなくなってしまう。そうすれば実家も田舎もなくなってしまう。既に、この現象は日本全国で起こっている。実際同年代の友人の中にも田舎をなくした人は既に非常に多い。

 

そういった”いわゆる”空き家になった家の数は今後更に増加していくことだろう。そして大事なことは、望郷の思いを持つ田舎をなくした人の数も今後更に増加していくに違いにない。そう、近未来において、日本昔話のような世界、懐かしき田舎の世界が希少性を持ち、付加価値を持つ時代が到来する。

 

その時、地方には様々なチャンスも生まれてくる。

逆境をチャンスへ。

提供する価値は「田舎」だ。

2016年総括

あっという間の一年だった。昨年末の総括からちょうど1年。今年はどんな一年だったか?自問してみる。

 

思いあたる言葉は「忍耐」だったように思う。上手くいかないこと、期待した通りに展開が進まなかったこと、そんなことが本当に多かった。時には心が折れそうなほどな困難を強いられた時もあった。その都度忍ぶことを強いられた。でも、今回のミャンマーへの訪問は自分にとって大切な栄養となった。それはアウンサンスーチーさんが過ごした地に訪問できたこと。自分の信じる道を諦めることなく、責任を放棄することなく、15年という長きに渡る軟禁を彼女は耐え凌いだ。そして今日、彼女は一国を動かしている。そんな地に足を踏み入れたとき、自分の苦悩、あるいは苦悩と思っていたことが如何に小さいことかを気づかされた。Think Big.  Do it at any cost. そう後ろから言われたような気がした。自分の小さを思い知らされた。

 

香港の事業を振り返りたい。2015年のカオスな創業期からは2016年は礎をつくる1年だっと言える。会社の母体となるチームメート数も倍以上になった。一人、そして一人、Ahead of the Curve という船に乗船してくれた。少しずつ、会社としての基礎も整備されていった。営業スペースの拡大。酒器展の開催、アーティストのコラボレーションによるイベント、一歩ずつ、一手ずつ、香港という街に”日本”の発信を試みた。そして確かな手ごたえを掴んでいった。

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つくづく思うこと。それはアクションからしか何も生まれないということ。成功も、失敗も、喜びも、忍耐も、出会いも、人間関係の好き嫌いも、アクションからしか生まれない。アクションがなければ、それはすなわち”無”だ。2016年、自分自身への反省はそのアクションへの情熱、準備のスピード、そして頻度は、決して満足できるものではなかった。自分に対して、そこは厳しく指摘したいと思う。

 

何はともあれ、2016年を全うし生き抜けたこと。会社としての礎を築けたこと。そして健康的にも問題なく体が機能できたこと。その点は2017年へしかとつなげたい。

 

あと数時間でこの2016年ともおさらばだ。2017年はアメリア大統領の交代はじめ、世界では様々な局面で風向きが変わることだろう。中国経済にも様々な見方もあるが、大国としての力はまだまだ増大していくだろう。その狭間に存在する香港も大きな変化を強いられることになるだろう。そして日本だって同じだ。訪日外国人の増加、そして2020年へむけた熱の高まりにつれ都会には少なからず追い風が吹くだろう。一方、力のない地方の農村は更に力を失っていくだろう。

 

外部環境とはいつの世も”良くも悪くも”変わっていく。その環境の変化に身を置いているだけでは、生き残ることは、もはや運でしかない。そうではなく、自ら環境をつくっていく、自らが変化となっていくこと。大それたことは言えなけれど、ガンジーの言葉は肝に銘じておきたい。

 

You should be the change that you want to see in the world -Mahatma Gandhi-

 

読者の皆様。2016年、僕のブログに訪問してくださり本当にありがとうございました。僕の旅路はこれからもこれからも続きます。2017年も引き続きどうぞよろしくお願いします。

 

それでは良いお年を

チャイティーヨ・パゴダへ

ヤンゴンから車でおよそ5時間。チャイティーヨ・パゴダと呼ばれる信仰地がある。通称「ゴールデンロック」。その神秘的な様相から知る人も少なくはないと思う。しかしその神秘的な世界とは裏腹に、その地に達するには想像もできないほどの、笑っちゃうほどのアドヴェンチャーがまっている。僕は、今日そこに挑戦してきた。

 

ふもとの村から、このピックアップ(超満員)で1時間ほど山道を爆走する。乗り場には乗車賃2,000K including Life-insuranceと書いてある。笑ってしまう。リアルビッグサンダーマウンテンの始まりだ。

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さぁ、出陣

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ヘロヘロになり頂上へ。そこには山頂の商店街あり。

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そしてようやくゴールデンロックへ。(ホテルをでて6時間後くらいか・・・)

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左手をあて、2016年の感謝と2017年にむけてお祈りをした。

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感想

ここはまだ外国の観光客による影響が少なく、信仰や街並み、そしてdangerousな交通など、地元の真の姿がまだ色濃く残っている。さりながら、2017年4月にはどうやらロープウェイが完成するらしい。そうすれば、山の麓から山頂まで人々を運ぶビッグサンダーマウンテンも姿を消すだろう。そして商流も大きく変わるだろう。多くの観光客をもっと効率的に運びことができるようになるだろう。経済の発展と地元固有の文化(アドベンチャー含む)はいつも逆相関だ。きっと、今日僕が体験したアドベチャーはpricelessだ。そう思う。幸運だった。

 

さぁ、6時間かけてヤンゴンへ帰ろう。

 

Local lifeとカレーとSUZUKIと泪と男と女

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帰宅時、タクシーで移動。車は決まってトヨタの中古車。運転手は得意げに僕に話しかける。「俺は日本が好きだ。日本の歌もいくつか知っている」そこでかかってきた歌は「酒と泪と男と女」。

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運転手さんとヤンゴンの街で大声で合唱。

 

そしたら、横からナンバープレート無しのSUZUKIの軽トラが割り込んできた。

不思議な空間だ。非日常の世界。

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Yangonを駆ける

昨日、そして今日の早朝からラングーンを駆け抜けた。

 

まずは、アウンサンスーチーさんが15年に渡り監禁された自宅へ。監禁時は、あたり一帯が進入禁止の地帯となっていて、彼女はそこで孤独に15年いう歳月をおくった。現在では家の門は閉じたままだが、前の道路は解放され多くの車が日常的に通過している。

 

The ladyという映画にもこの扉は幾度も登場する。多くの群衆がスーチーさんの復活を求めて、この門の前に集まった。1991年、スーチーさんは、この中の家の中で、ラジオからノーベル平和賞を自身が受賞したことを知った。電話線も切られ、ラジオだけが唯一の外界との接点だった。

 

この地を訪れ、人間の怖さ、平和の尊さ、そして、スーチーさんの熱き思いが身体に伝わってきた。

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筆者も記念に。

 

 次に訪れたのはミャンマーの最高学府であるヤンゴン大学。創設は1875年。 僕は異国の地では決まって大学に訪れる。歴史ある大学、とりわけ最高学府にはその国の起源があり、歴史を身をもって感じることができるからだ。実際、国家のリーダーであったアウンサンスーチーさんのお父さん、そして、多くの軍閥の将校もこの大学を卒業している。

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Our vision: University of Yangon 

To create an education system that can generate a learning society capable of facing the challenges of the Knowleage Age

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図書館の中には中国紙が。チャイナインパクトはすぐそこまできている。

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チャウッターヂー・パヤーへ。

宗教建造物は、あまりにも意味が深すぎるが、この大仏がデカイのはわかる。

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To be continued.

Beyond Rangoon - ラングーンを超えて-

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飛行機の乗降口から降りる。その瞬間、”むっ”とした南国特有の湿った空気か僕を待ち受けていた。気温30度。乾期とはいえ鼻から入る湿った生ぬるい空気が、熱帯についたことを僕の身体に感じさせる。懐かしい匂いだ。熱帯に来るのはおよそ10数年ぶり。マレーシア、インドネシア、タイ、ベトナムをヒッチハイクで駆け抜けた学生時代がよみがえる。降り立った街の名はヤンゴン。かつてラングーンと呼ばれた街。

 

空港では、駐在員の知人が手配してくれた運転手が僕の名前を紙に書いて待っていてくれた。少し鼻高々な気分だ。

 

車に乗り込む。カーナビはじめ社内にある文字は日本語。日本車の中古をそのまま使っている。街を見渡せば中古日本車があちこちで走っている。右車線のところに、右ハンドルが走っている。日本の中古車がやってきてMIXの状態で文明が発展してる。街を走ればすぐにわかる。この国は、まだまだ発展途上国。それも発展の初期段階だ。1980年代の中国に印象は近い。まだまだ人々の生活は貧困の渦中にある。ヤンゴンの平均月収は日本円で1万円。街では様々な爆音が鳴り響いている。その一方である種の静けさも感じられる。資本主義の波が押し寄せ、欲望に駆られ皆が一斉に走り出す一歩手前のような感じ。強欲という世界から少し離れた微かな静けさだ。

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今夜は、現地の知人と夕食会へ。

ミャンマーへ

年末かけてミャンマーのヤンゴンへ行くことにした。

 

その前にこの国を学ぼう。そんな思いからとある映画をみた。アウンサンスーチーさんが辿った人生を映画化したストーリーだ。星5つ。

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女性であり、母であり、それでもミャンマーという国を背負い、政府に立ち向かう強い心。その彼女の生き様と勇気に大きな感銘を受けた。なんて悲しく切ない人生だろう。でもなんて感動的で意義のある人生だろう。

 

50年以上続いたミャンマーの軍事独裁政権は、2011年3月、奇しくも、東日本大震災が起こった月に終結した。以来、この国はアウンサンスーチーさんのリーダーシップの下、国家の発展へ新しい舵をきった。彼女は、1991年にノベール平和賞を受賞を受賞したけれど当時は軟禁状態。実際に当時、メダルを受け取り演説をしたのは息子だ。そして20年が過ぎ去った。これは軟禁から解放され、彼女がノーベル財団で初めて受賞の挨拶をしたときの実際の映像だ。魂を感じる。

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ミャンマーへの訪問には様々な目的があるけれど、アウンサンスーチーさんが創った国を見に行ってくる。

 

現場からレポートをします。 

地方をつなぐ

二冊ほど本を読んだ。

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「東北食べる通信」

 

創刊者であり、編集長である高橋博之さんの著書を。

 

日本グットデザイン金賞はじめ多くの賞を獲得している活動だ。この食べる通信の最大の特色は情報をただ届けるのではなく、生産者そして現場で起こる生の物語に加え、実際にその生産物を読者であり消費者が存在する都会へ届けるという仕組みだ。既存の表面的な情報を伝達するメディアではなく、生の声に加えリアルな体験を提供する”新しい”メディアだ。現在、この活動は全国単位にまで拡大し、30以上の「食べる通信」が各地からは発信されている。食べる通信 from Niigata

 

アイデア次第で新しい価値が生まれ、それにより地方に新しい経済の営みが興る。この「食べる通信」の活動とその躍進から学べることは多い。地方と都会をつなぐ。そして地方と世界をつなぐ。アイデアとそれに挑むチャンレンジが耐えない限り不可能はない。食べる通信の奇跡がそう示している。もちろん簡単なことではない。

 

さっそく、食べる通信の購読者そして消費者に登録した。

 

関連記事はこちら

海賊と呼ばれた男

多くの本を読んできたけれど、この物語には本当に心を突き動かされた。日本人であることがなんだか誇りに思える、そんな物語だ。きっと皆さんの多くもこの本を読まれたことでしょう。

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12月10日から、映画バーションが始まった。近日絶対に見に行こうと思っている。

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