日本の観光地ってほんっと、どこ言っても”似ている”と思う。
情報網が発達する前の遠い昔、各地域の藩が凌ぎあっていた時代はきっと、それぞれの土地ならではの特色が自然に存在していたと思う。
「エッジある人間」が出ないないように、日本を標準化したのはGHQと言われてるよね。農地解放もそのひとつ。それの目的は、地方の豪族の力をなくすため。財閥解体もそのひとつ。力のあるentityは、将来的な脅威になる可能性がある。だからつぶす。さらに言えば、偏差値教育の導入もその一端だね。
出来上がった日本は、標準化された美しい国。
これにより、日本人は類似性が高まったし、結果的に地方の景観も含めて、様々な類似性が高まった。
でも、これは高度経済成長期の少品種大量生産時代にはワークした。
「右を向け!」といえば皆きれいに黙って向く。
工場での生産性向上には抜群の国民性だよね。
さて、インバンドのビジネスや観光が取り出さされる昨今、いまこそ各地方がエッジを世界に表現しなければならないと思う。
僕の故郷、新潟の湯沢なんていつも関越自動車道で帰るときに思うわけだが、ホテルやマンションがほぼお化け屋敷化しているように見える。あれだけ、四季と海や山に恵まれた大地なのに、冬のスキーのみに特化しているビジネスモデルだから、スキー人気が停滞した今、その衰退は本当に激しい。
でも、それこそ日本海に位置する地の利を活かして、インバウンドビジネスを再考すべきだと思う。”べき”というか、僕自身もそこにチャンスがあると思っているので、再考したい。
詳細はまたの記事に書くことにして、”そうだよね”と思った記事があったのでここにupします。