Ahead of the Curve -日本から世界へ-

~日本、世界、社会を考えるブログ~

「さようなら」

「さようなら」

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最近言ったのはいつですか?言っていそうで言ってなくないです?僕が最後に言ったのはいつのことだろう。もしかして大学時代くらいまで遡り教授とかに「さようなら」と言ったのが最後かしれない、という位に大昔まで遡ってしまうかもしれない。きっと僕だけが特別ではないと思う。皆さんもそうではないですか?

 

では、なぜ日本人は「さようなら」と言わなくなったのか?理由は諸説あるが、間違いなくその一つは「さようなら」していなからだ。携帯電話の発展、そしてショートメールの進化。今では当たり前になったSNSが、バーチャルに皆いつでも”繋がっている”環境を作り出した。実際「さようなら」という代わりに、別れ際に「メールするね」、「お疲れ様でした、ではまたメールします。」という形で別れてはいないだろうか?

 

言語とは文明であり、文明とは言語だ。時代が進化していく中で、当然言葉も変わっていく。

 

一方、この「さようなら」という言葉は、実に日本人らしい様々な文化が内包されているようだ。「さようなら」という言葉、「ここまでもか!笑」と研究している一冊の本がそう教えてくれた。

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曰く、世界の別れの表現は主に三つに分類されるという

1.Good bye 派

これはGod be with youが語源であり、神があなたとともにあらんことを祈るという意味の別れ言葉。Adios(アディオス)やAddio(アディオ)も同類

 

2. See you again 派

字のごとく、再び会いましょうの意味だ。これは中国語の再见も同じ。

 

3. Farewell 派

Well (うまく)Fare (やって行ってください)という、「お元気でね」てきな別れ言葉。韓国語の案寧(アニョン)も同類

 

一方、日本語の「さようなら」/「さらば」はどこにも属さないガラパゴス的な言葉。もともとの語源は「さようであるならば」、つまり「そうであるならば」である。そしてこれは接続詞であるというところがポイントだ。「何かが起こって」、それに対して「そうであるならば」という接続をしている。

 

だんだんマニアックになってきたが・・

 

つまり、古い「こと」から新しい「こと」への決別、確認、移行が、「さようなら」の意味に含まれている。

たとえば、学校での起立・礼・着席!であったり、武道の礼に始まり、礼に終わる、といったように、これは日本人の「こと」の対処の仕方であり、始まりと終わりをしかと確認しながら、一つ一つの「こと」を進めていこうとする態度が現れている。「さようなら」もその態度の一つだという。本の中では、日本人の「死生観」まで広げてこの「さようなら」をマニアックに論じているけれど、ざっくりと解釈すればこんなところだ。

 

本日の結論

海外で外国人と話すと気がつくことがある。それは自国の文化や歴史への理解度だ。これは宗教も深く影響していると思う。そういった教養は、もちろん人にもよるけれど、例えば同じビジネスパーソンを比較しても、日本人に比べて教養が非常に深いと思わされる場面が少なくはない。人生とは「一生勉強」だ。僕自身日本文化を語る上でしっかりと文化を勉強していかなければならない。そんな思いからの投稿である。

 

では、また明日。