パリで起きたテロには本当に心が痛む。
自身、3か月ほどパリで勤務していたことがあり特別な思いもある。
今回のテロに心が痛むのはもちろんだが、テロがいつ何時起こるかわからないことを我々文明社会は再度認識することになった。それこそが最大の恐怖である。
そもそもテロとは何なのか?
2001年。アメリカに同時多発テロが起こり、多くの犠牲を払いツインタワーは藻屑と消えた。そしてナショナルフラッグが米国全土に掲げられ中東への攻撃が始まった。結果的に多くの犠牲者が生まれた。アメリカは、イラクのフセイン大統領を粛正した。しかし、リーダーシップのあったフセインがいなくなった中東は、制御を失い中東の統治機構が大きく崩れた。そして、制御機能が低下した中、イスラム国が生まれた。15年たった今、新たな悲劇が起こることとなった。文明社会は、この15年において社会・世界に何を残したのか?
今日、ニュースは連日フランス軍がシリアへの攻撃を強めることを報道し、多くの文明諸国はこれに賛同し、あたかも当然のごとく受け止めている。日本もそうだ。
そう、世界は同じことを繰り返している。
テロリズムとは、攻められたサイドの言語なのかもしれない。攻めている方はそうは定義しない。いじめている方は、いじめていることに気づかない。かつての日本は中国・アジア諸国にとってテロリスト以外の何者でもない。中東にとって、アメリカはテロリスト以外何者でもない。そして、反撃するフランスは、攻撃をうける諸国民からは未来永劫テロリストと呼ばれることになるだろう。
人類はまた武力に対し武力を行使しようとしている。これだけ文明が高度化しても、戦争が手段として選択されることはいつの世も変わらない。「やられたら、やり返せ」が未だに文明社会の定説である。
僕は思う。武力は武力しか生まないって。
ある賢者は言う。
「爆弾ではなく、パンを」
空から爆弾ではなくパンを”落とす”のだ。
爆弾に数億円のお金をかけるより(トマホーク1発数億円)パンを空から提供し貧困をなくすのだ。
しかし現実は、今日もまた爆弾によって解決しようとしている。
今回のテロがさらに続かないことを祈るばかりだ。
爆弾ではなくパンを
争いは争いしか生まない