夜の12時に香港へフライト。
ついたのは朝4時半。
宿泊先のホテルへタクシーで移動。
10時からのミーティングに向けてつかの間の仮眠。
朝起きて、朝ごはんを求め街を放浪。
香港らしい朝ごはんにたどり着いた。
ワンタン麺
疲れた胃に染み入るぜ。
夜の12時に香港へフライト。
ついたのは朝4時半。
宿泊先のホテルへタクシーで移動。
10時からのミーティングに向けてつかの間の仮眠。
朝起きて、朝ごはんを求め街を放浪。
香港らしい朝ごはんにたどり着いた。
ワンタン麺
疲れた胃に染み入るぜ。
昨日は千葉にいって、今日は仙台に行ってきました。
仙台は僕の好きな街。
でも、写真一枚もとれなかったな。
時間に追われていて。
明日から香港です。
現場からレポートします。
あの大震災から6年が経過した。人類は皆平等に6歳年をとった。未だ仮設住宅での生活を強いられる人。あの年に生まれた人。都会で働くサラリーマン。皆、6年、年を重ねた。
あっという間の6年?長かった6年?皆さんにとってはどんな6年だっただろうか。僕個人にとっては、人生を大きく変えた6年だった。必死に右往左往し、悩みぬいた6年だった。
3月11日。
僕はこの日になるといつも1つのメッセージのことを思い出す。ある中学校の校長先生が卒業生に送った言葉だ。6年たった今でも、もう大人になった僕にも、褪せずにひしひしと伝わってくる強いメッセージ。
今日はこのメッセージをここで共有したく、そして自分自身に今一度このメッセージを伝えたくてブログを書いた。
時に海を見よ。
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。
瓦礫を目前に立つ筆者/2011・石巻
日々寝れない日々がつづいている。
仮に寝たと思っても、いつも頭は動いていて
夢にまで現実がでてくる。
気が付くと、いつのまにか外が明るくなっている。
そこでもう寝る時間がないことを悟る。
また朝が来たことを知る。
そんな日がずっと続いている。
この一か月はかなり体を酷使した。
結果的に体を壊した。
ふと前が見えなくなる。
生きることが怖くなる。
それでも明日はやってくる。
止まったら終わりだ。
諦めたらそこで終わりだ。
最後は情熱だ。
情熱しかない。
昨日は、ウォートンスクール(WG09)の同期会が開催された。場所は、西麻布にあるビストロアンバロン。なんと、こちらのレストランのオーナーは同じくウォートンスクールの卒業生であり僕の先輩になる両角さん。美味しいフランス料理をご提供いただいた。
昨日は、全員が集まることができなかったけれど忙しい中6人が集まった。かつて、2年間アメリカで共に猛勉強した仲間たち。2009年に卒業してからもう8年が経過しようとしている。進んだ道はそれぞれ異なるし、この8年の間には多くの出来事がそれぞれにあったことだろう。でも仲間であつまると時間は”あの時”で止まっている。まるで昨日のことのように、留学時代の話で話は盛り上がった。
面白い出会いがもう一つ。先輩である両角さん。もともとはバリバリの金融マンでありながら、なぜレストランの経営に足を踏み出しのか。僕自身の歩んだ道とも重なる部分も沢山あり、お話を興味深く聞かせてもらった。そして最も面白い事実は以下だ。
一言でいうと、非常にソーシャルな活動だし意義のある仕組みだと思う。自身の経験、そしてキャリアから生まれる信頼性もコンサルタントとして重要な武器になっていると思う。何より、この活動を通して社会に付加価値を与えることと同時に、コンサルを受けた人が、レストランとしてのお客様になってくれたり、その口コミにつながったりと、結果的にはお店の稼働率の向上に貢献してくれるわけだ。社会的な活動でありなら、非常に戦略的な仕掛けだと思う。さすがウォートンスクール。
飲食業って非常に難しい。どんなにおいしくても、時間がたてばやがてブームは過ぎ、飽きられてしまう可能性が高い。もちろん、そうならぬよう現場は常に成長していかなければならない。一方、味や価格だけの勝負だけではなく、そこに人が集まる仕組みをつくっている先輩の活動には大きな学びを得た。このエッセンスは、僕の今後の活動にも活かしていきたいものだ。
何はともあれ、素晴らしいお料理を堪能させていただきました。
またプライベートでリピートしたいお店なり。
思いっきり雑談だが、男の子が「女湯」に入れなくなる年齢が各地方により定められていて、しかもその地により若干ながら年齢が異なるようだ。
でも、最もリアリティーのある話は以下だと思う。
ある少年が番台おばちゃんにたずねます。
「男の子はいつになったら女湯にはいれなくなるの?」
するとおばちゃんはこう答えます。
「女湯に入りたいと思ったとき」
笑っちゃいます。
雑談でした。
Tさんと出会い、あの日から7年。先輩であり事業経営者であるTさん。およそ2年ぶりだろうか。昨日は久方ぶりに再会し、男二人でしみじみ杯を交わした。末広町にある新潟のへぎ蕎麦の店へ。シニアが集う昭和の店。
不思議な魅力を持っている人で、彼は業界を超えて多くの人とつながっている。杯を交わしながら一つのことを久方ぶりに思った。「この人熱いな」って。何と言うのかな、まっすぐな気持ちで包み隠さず、自分の強み弱みをさらけ出して夢を語る。そんな姿を見ていて何だかうれしかった。自分で言うのも何だが、僕と同等、それ以上に熱い。きっと業界の重鎮も彼のそんな真っすぐなところをみて手を差し伸べたくなるのだろう。だから「えっ」と思うほどの人脈をもっている不思議な男。
昨日、彼からとある言葉を教わった。それを記したくて今日はブログした。それは京セラ創業者の稲森さんからの言葉だそうな。
「もうだめかと思ったら、すべての始まりである」
深く深く考えさせられた。
「もうだめかと思ったら、すべての始まりである」
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで
君が代は(あなたの寿命)
千年も八千年も(永遠に続くほど)
小さな石が大きな岩になり、
さらに苔が生えるくらい
長く長く続きますように。
2番
君が代は 千ひろの底の さざれ石の
うの居(ゐ)る磯と 現はるるまで
3番
君が代は 千代ともささじ 天(あめ)の戸や
いづる月日の 限りなければ
4番
君が代は 久しかるべし わたらひや
いすゞの川の 流たえせで
まず、2番以降が存在したこと。そして時代の中で何度歌詞が変化してたということ。更にはメロディーも昔は違ったそうな。現代の歌になったのは明治26年。よくよく聞くと不思議な曲であり、歌詞を考えるととても素敵な曲。僕もそうだし、他の多くの日本人もそうだと思うけれど、たぶん国歌の起源を知らない日本人って多いと思う。
って、真夜中にいきなり「君が代」をブログに書いている僕はかなりオタクだとは思う。笑。でも知っているようで知らないことって山ほどある。
トランプ氏が大統領に就任した。彼がこれから起こすアクションは世界に様々な影響を与えることは間違いない。彼の発言や振る舞い、そして人柄には様々な見方もあるけれど、彼は民主主義の中枢である選挙によって正式に選ばれた大統領だ。メディアが何を叫ぼうが、彼が今後4年間、アメリカの大統領として世界に君臨することはもう変わらない。
彼の就任演説をみていて思うことは、他の大統領に引けを取らず演説が上手いということ。特徴的なのは、言葉は短く、単語単語で、皆が理解できるようゆっくりと話す。性格は本当に過激なのかもしれないが、ものすごく頭の良い人だとつくづく思う。是非このスピーチを見てみてください。
前々から気になっていたお店。運よくたまたま予約が取れて初めての試み。知る人ぞ知る名店であり、いつも常連客で賑わう隠れ家。様々なメディアにも取り上げられているお店でもあり、きっかけとなったのはこんな記事。
料理も日本酒も格別だ。my favarite list へ殿堂入りだ。ところで、記事にあるように、お寿司屋さんなのに本当に中々お寿司が出てこなかった。最後の方に二つか三つ。面白い。というか繁盛店はいつも何かが、どこかが違う。
この店には県外にもファンが多く、実際僕の隣に座った方はわざわざ水戸から。どうしてもこの店に来たかったのだという。水戸行きの最終電車の時間まで日本酒を楽しんでいた。美味しいお料理、お酒、そしてご主人の人柄に惹かれ人々があつまる場所。「情報を得るには人気店へ行け」と誰かが言っていた。そう、実際ご主人の周りには多くの人が集い、実際様々な情報を持っている。お店という箱から人々のつながりが生まれ、コミュニティーができてる。当日は、皆自分が好きな日本酒や、料理や、趣味のことを、ご主人と子供のように語っていた。
老若男女、仕事も、生き方も、皆異なる人がその店には集まる。でもそこに集まる人はなんだか本当に皆幸せそうだった。そしてご主人が何よりも幸せそうだった。
大雪が降っている夜は静かな夜になる。それが雪の音。
先週末からの寒波で日本海側は大雪だ、と母親からメールが届く。とりわけ僕の実家は山沿いにあり、寒波が来ると一日で50cmも簡単につもる。そしてその寒波が日本海側を襲い、現在1M以上の雪が積もっているという。屋根の上には同じく雪が積もっている。雪って非常に重たいもの。重さで家がつぶれてしまう可能性もある。でも、僕の両親は、1M以上積もった雪屋根に上って雪を下せるほどもう若くない。
ネットで調べてみると、雪下ろしのボランティアであったり、アルバイトはどうやらあるようだ。僕が東京にいるために、雪下ろしができない。まずはその情報をシェアしよう。
これから家はどんどん古くなる。若者はどんどんいなくなる。かつて家族総出でおこなった雪下ろしは、どこの家もきっとできなくなる。かつての光景は、今では懐かしい光景となった。
そういった環境下では、その他に住むこと自体が持続的ではなくなる。これは僕の実家・故郷に限らない。日本全国の地方に同様に起こっているし今後さらに悪化する。雪おろしに限らない。食料調達もインフラも含め、生活していくこと自体が難しくなっていく。明治・大正・昭和のシステムでは限界にきている。
事業とは社会のニーズから生まれる。
どんな事業がこのニーズにこたえらるか?
どんな事業なら日本の農村を持続的にするか?
農村を再起するのは政治家か?事業家か?
故郷に住む姉から写真が届く。
塞ノ神・歳の神:「さえのかみ(賽の神・障の神)」と言われる行事。
神様を祭るこの風習様々な呼び方がある。東北地方では歳の神(さいのかみ)・歳の神焼き、西の方では差義長(さぎちょう)、新潟でも様々。姉の住む土地では塞ノ神。全国的には「どんど焼き」として親しまれている風習。地域により時期は違うが、小正月(1月15日頃)におこなわれる。
歳の神には、去年飾った正月飾りなどを藁とともに燃やして無病息災を祈願する。
全国には、北海道から沖縄までこの行事が存在するという。
不思議なものだ。日本の悠久の歴史を感じる。
いつまでも残ってほしい。
あわんとり(千葉県南部・茨城県南部)
お焚き上げ(神社で行事としてする場合)
おんべ焼き(単におんべとも)
御柴灯(おさいとう)
かあがり(長野県南佐久郡小海町、南佐久郡南相木村、北相木村)
かんじょ(新潟県村上市岩船)
さいと焼き(神奈川県横須賀市鴨居八幡)
さぎっちょ(富山県、石川県、福井県、岐阜県、高知県、福岡県)
しんめいさん(広島県東広島市安芸津町)
道祖神祭り
とうどうさん(愛媛県東予地方)
とんど(奈良県、広島県、岡山県)
とんど焼き(近畿とその周辺、東京都)
とんど正月(兵庫県播磨地方)
どんと
どんどや(九州)
どんど焼き(山梨県の一部地方、愛知県の一部地方)
どんど焼き(群馬県、愛媛県南予地方)
とんどさん(鳥取県)
どんどん焼き(山梨県の一部地方)
ほっけんぎょう(九州)
やははいろ(東北)
昨年来、Air bnbやUberのことを日本でも頻繁に耳にするようになった。日本では規制上Air bnbやUberはまだまだマイナーな存在だが、世界を見渡せば既にメジャーな存在だ。アメリカの友人にUberって使ったことある?と聞いたところ、「Wow 僕はまだ200回しか使ったことがないよ」と返事がきた。
このAir bnbやUberには一つの共通点がある。それは稼働していないモノ(家・車)を活用し、ネットを通し需要者とを結び付け稼働率を上げようというビジネスモデルだ。いつものことではあるけれど、こういったinnovationは誰でも思いつきそうなビジネスでありながら、誰も思いつかなかったビジネスであり、やはり最初にアイデアを具体化・具現化した人はすごいと思う。
さて、この稼働率というものに視点を絞ると、「稼働率向上型ビジネス」には、まだ多くの可能性がありそうだ。たとえばレストラン。常時満席のレストランはさておき、多くのレストランは顧客獲得に悩みを抱えているのは事実だろう。また、実際レストラン閉店後、あるいは午前中などは、「箱」はまったく稼働しておらず、その空間は眠ったままのお店も多いことだろう。一部では、午前中に稼働していないレストランの空間を会議室用途に貸し出すサービスなども存在しているが、数千、数万のレストランオーナーにとっては、如何にこの”稼働率”を上げるかが大きな挑戦となる。飲食業界がUberから学べることはたくさんあると思う。例えば、とあるレストランに5席の空席があるとしよう。「これから予約をした人を半額にします」という情報をAPPに流す。そうするとそれを受けたっと顧客が「OK」と思えば、そこで予約は成立する。国民の多くがスマホを持ついまだからそれは可能になる。
本題に入ろう。僕は、この日本という「箱」は仕組みを変えれば一気に「稼働率」があがると思っている。それは休日や祝日のタイミングだ。言うまでもないことだけれど、この日本という国は、GWや連休など、皆同じように休みをとり、皆類似した行動をとる。だから渋滞が発生し、料金はつり上がり、人気の場所はいつも満室・満席だ。だから、せっかくのお休みでも渋滞と人の波にのまれ、結局は休むどころか、さならる疲労に襲われる、なんていうことはよくあることだと思う。この現象の根源にあるものは、皆が一気に押し寄せるからだ。それは皆同じ日に休みや休日が来るからだ。
こうしてみてはどうか?日本全国を市町村ごとに週末の定義を変えるのだ。A地区は、月火が週末。B地区は水木が週末といった具合に。祝日の日付は変えることはできないが、それを利用できる権利も柔軟に決めることができるとする。こうすることで、日本人の行動を大きく分散することができる。理論上、渋滞は分散され、旅をより快適にすることができる。また、供給者サイドのホテルや旅館としても大きなメリットだ。今日、週末や特定の連休には賑わうが、それ以外は閑古鳥が鳴いているなんてこともよくある現象。だからこそピーク時に値段をつり上げて稼ぐわけだ。そうしないと事業が成り立たない。もし、安定した需要があれば価格だって抑えられる。そう、稼働率が上がることは、需要者にも供給者にもメリットとなる。
この仕組みの重要なポイントは、まず大きなお金がかからないことだ。あくまで決め事だから、意志さえあればまったく不可能であはない。インバウンド、移民など、”外国人”の力を借りた経済喚起は、どうしても不確実性が多い。しかし、この取り組みは極論明日からできる。想定できるデメリット?家族・友人・知人が異なる週末になるから会えない?否、だから市町村ごとに定義をつくる。別に都道府県単位でも良い。それで親しい人は基本同じ生活のリズムになるはずだ。
明治以降、中央集権制度のもと、北は北海道から南は沖縄まで、すべての日本人が同じルールの下で生を営んできた。それが成熟した現代社会では多くの問題の根源になっていると思う。ちょっとルールを変えるだけで、まだまだ多くのポテンシャルがこの国にはあると思う。渋滞なく、混むことなく、安く、美味しく、楽しく、地方を旅しはみたくないだろうか?
どうでしょう?