M's diary - 日本から世界へ -

~日本、世界、社会を考えるブログ~

日々の時間マネジメントが未来を決める

あっという間に時間が流れてしまった。

9月以降、ブログは一つも書けていなかった。でも、決してあたふた奔走してわけではなく、むしろ毎日を楽しんでいたように思える。新しい仲間との仕事が9月13日から開始してもうすぐ2か月。合宿をしたり、チームで運動会をしたり、現場に足を運んだり、地方創生に向けて地方に足を運んだり、様々な人に出会い、多くを感じ、多くを学び、多くのインスピレーションを感じた濃厚な2か月だった。

さて、行うべき事項が日々増加していく中で、それはそれで僕の細胞を刺激してくれるし、有意義なことである。一方、気をつけなければならないことがある。それはタイムマネジメントだ。1日5分でも、10分でも本を読み、社会や経済のことを考える時間が必要だ。そしてそれをずっと継続することだ。そのためには生活の中にシステムが必要だと。このブログもそのために自らに課していることもまた真である。

自分の成長がなければそこに未来はない。

人生とは勉強である。

 

実践していこう。

 

Tradition to Modern

香港の街をあるく。

空は青いが、それを遮るかのようにビルが立ち並ぶ。

 超高層ビルとそれを囲む伝統の竹の枠組み。

伝統とモダンが内在する街、香港。

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香港で寿司を食らう。

日本から直送で届く新鮮な食材。

正直日本で食べるよりうまい。(関連

食の街、香港。

これも香港の顔の一つだ。

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Make change to change

徒然なるままに日記を書こう。

 

この一か月において僕が生きる環境は大きく変化した。僕の人生にとっても大きな意味を持つ変化だ。何を隠そう、新しい環境に身を置き、新しい人たち・新しいチームとの歩みが始まったのだから。正直、この展開は全く予想もしていなかった。でも、運命という言葉を使ってよいならば、この出会いは本当に運命的だったと言える。様々な要因が、ある瞬間に僕の中で一つのストーリーとなり、最終的には全てがシンプルになった。そしてシンプルにこの変化は実現した。あまりにも抽象的な表現であり、読者には理解されないことを恐れずに言うならば、「故郷に帰る」、そんな懐かしさもこの新しいjurneyにはある。それが僕の素直な感覚だ。いずれ、この新しい旅路はここにも少しずつオープンにしていこうと思う。

 

変化し続けることを大切にしたい。

変化し続けることを忘れずにいたい。 

 

明日から香港だ。

ここでも新しいストーリーが始まる。

 

9月18日

9月18日という日。

日本人はこの日のことを思い出すことは別になかろう。

でも本当は日本人にとって、そして日本にとっても重要な日だ。

1931年9月 18日夜,奉天 (瀋陽) 北部の柳条湖で南満州鉄道の線路を関東軍が爆破した。満州事変の発端となった事件がこの日に起こった。中国ではこの日のことを「国恥記念日」として、日本に侵略された歴史を忘れずにいる。この日は日本にとっても衰退の始まりの日でもある。この日がなければ、やがて泥沼化していく太平洋戦争もなかったことだろう。

 

変化し続けること

14日、15日は、合宿という名のキャンプで、長野は上高地。

まさに神々がそこに存在するように、壮大な自然と山々と緑が僕たちを迎えてくれた。

自然は常に変化している。僕たちも自然のように常に変化し続ける。それがこの合宿の中の一つの重要なポイントだったと思う。

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DUNKIRK

久々に映画を見てきた。それは9日から上映となった「DUNKIRK/ダンケルク」という物語。イギリス人にとってはダンケルクの奇跡として語り継がれている真実の物語だ。

第二次世界大戦中、ヒトラー率いるドイツ軍は圧倒的な戦力と戦略から欧州を一気に席巻した。追われるイギリス軍をはじめとした連合軍は、フランス沿岸の町ダンケルクに追いやられる。

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兵士の数は40万人。国家の未来を担う若き兵士たちをここで失えば、国家に未来はない。絶対絶命の状況。しかし、そこで奇跡が起こる。それがこの映画のストーリーだ。

イギリスは兵士を救うために、ドーバー海峡を渡りダンケルクへ向かう。でもその時、船の数が圧倒的に足りない。そこで民間の遊覧船、漁船も総出動でダンケルクにいる兵士たちを救出に行くだ。その数900隻。そして、奇跡が起こる。9日間で34万人が救出される。34万人である。

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この時、圧倒的な武力を誇るドイツ軍は本格的になぜか攻めてこなかった。なぜか?目の前で敵が救出される中で、総攻撃をなぜかヒットラーは指示しなかった。なぜか?一説には、軍の内部で意見が様々に別れたこと。あるいは地形的に戦車が進みにくかったなど諸説あるが真実は定かではない。しかし、この9日間の奇跡により、イギリス軍は兵士を失わずに済んだ。そしてこれがのちのノルマンディー上陸作戦での連合軍の勝利へとつながっていく。

「その時歴史が動いた」という言葉を使うならば、このダンケルクの奇跡、逆に言うならば、ヒトラーのこの状況判断のミスがあったからこそ、ドイツはやがて崩壊する。このダンケルクが「歴史が動いた」大きな節目となる。日独伊三国同盟を結んでいた日本にとってもこれは大きな後ろ盾を失うことになった。このヒトラーの判断ミスがなかったら、現在の世界地図は大きく変わっていた可能性がある。

ヒトラーはなぜ、攻めなかったのか?

多くの人はこう言い伝えているそうな。

神が世界を守ってくれた。

wwws.warnerbros.co.jp

お祈りを

今日は、おじいちゃんの三回忌。

もしおじいちゃんが生きていたとすると93歳。いずれにしても戦後第一世代の方の寿命はそう長くはない。戦争の辛いお話や戦後の復興のお話を僕たち日本人はもう少しで「生」で聞くことはできなくなる。更に、東京に住んでいると、ご近所付き合いもほぼ皆無だし、おじいちゃんの世代の方々とお話をする機会なんて実際はゼロだ。せめて実家に帰った時に、まだご健在のおじいちゃんの妹さんなどとお話するくらいだ。実はそれは毎度帰省する際の楽しみにの一つでもある。実際話してみると本当に面白い。これまでこちら側に聞く能力も興味もなかっただけで、聞けば聞くほど興味深いコンテンツがあふれ出てくる。軍歌まで歌いながら、どうやって兵隊さんを戦場に送り出したかなど、話の内容は深く・広い。

 

さて、話が少しそれた。おじいちゃんの三回忌。残念ながら故郷に帰り三回忌に参加することはできないけれど、東京からお祈りをささげたい。きっと天国でおばあちゃんと一緒に二人で大好きなお酒を楽しんていることだろう。

 

関連記事:

行きます 

 

To be Good to Great

「ビジョナリーカンパニー」に久々に出会った。

ピータードラッガーの後継者として称されるジムコリンズが著した「ビジョナリーカンパニー(原版:Good to Great)」シリーズ(v1~v4)。こちらを知る人、あるいは実際に読まれたビジネスパーソンも多くいることだろう。僕も実際にその中の一人だ。

では、そもそもビジョナリー・カンパニーとは何か? ビジョナリー・カンパニーとは要約すると、「ビジョンを持っている企業」「未来志向の企業」「先見的な企業」を指すそうな。ビジョナリーカンパニーには以下の類似性があるという。これらを実際の事例を用いて論じて行くのが「ビジョナリーカンパニー」という本の主なコンテンツだ。

【ビジョナリー・カンパニーの8つの生存の法則】
(1)製品ではなく企業そのものが究極の作品と考える
(2)現実的な理想主義
(3)基本理念を維持し、進歩を促す
(4)社運を賭けた大胆な目標
(5)カルトのような文化
(6)大量のものを試して、うまくいったものを残す
(7)生え抜きの経営陣
(8)決して満足しない

確かに、何となく上手く行っていそうな匂いのする特徴だ。実際、これまで投資家として1000社近い企業や、経営者にお会いしたりしてきたけれど、業界のリーダーでかつ持続的に成長しているような企業は、本当によくこれらの多くの点が当てはまっている。例えば、工作ロボットなどを製造するファナック。一部上場企業であり、業界では断トツの世界プレーヤーであるが、いかんせんすべてが黄色なのだ。(関連記事)。それはまさにカルト的、その言葉に尽きる。

ただ、因果関係が重要だ。これらの特徴は「結果的に」そのような特徴が散見されるということであり、それができればgreatにカンパニーになれるわけではない。カルト集団になることを目指しても生存するどころか、そこにはカオスしかない。

ビジョナリーカンパニーとは素晴らしい本ではある。多くのinsightを与えてくれる。しかし、明日からの具体的な経営手法を教えてくれる本ではない。そもそも、企業経営に普遍的な妙薬などはない。あるはずがない。あれば皆成功している。結局は、経営者は、自己の置かれた環境の中で、試行錯誤をして明日を切り開いていくしかない。

しかし、そんな中でも、これまでの様々な経験を通し自分が経営に対して重要だと思っている、あるいはこうしたい、ということを下記に列挙してみたい。

  • 経営陣が信頼し合って本当に仲がよいこと
  • 経営陣が勉強家であること
  • スピード(意思決定の速さ、そしてアクションまでのリードタイム)、朝礼暮改を受け入れる土壌づくりと文化
  • Think Big but Be Relatisitic /大志を抱きながらも、現実的な思考と戦略
  • 前例・既存・一般的な価値観にとらわれない柔軟性、新しさへのOPENESS
  • 成功に固執せずに、社会の変化、ニーズに変化に対して高いアンテナを
  • 大きな投資へのROIのみならず、日々のROIへの意識(会議の回数、時間、出席者数、レポート数&頻度、通勤時間、出張etc etc)
  • できる限り無駄を削減し本質を追求。しかし従業員の給与は業界一の水準を目指す。
  • 情熱

 

健康がすべて

つれづれなるままに日記を書こう。

 

最近行った健康診断で、実は肝臓が引っかかってしまった。飲み会が続いたシーズンだったので、3日ほど休肝日を設けてから健康診断に臨んだが、お酒は「γーGTP」に影響するとして、1週間はあけてくるようにと言われてから再調査をすることになっている。その時、下の血圧も高いと指摘を受け、最近は定期的に血圧を測っている。まだ30代だというのに、ちょっと身体に負担をかけすぎたようだ。実は、ブログには書かなかったが、中国を旅行中に瀋陽で食べた火鍋の中に入ってた羊肉でもろにあたり、食中毒を起こしてしまっている。この3週間くらいでかなり身体をいじめてしまったいるようだ。結果、この2~3日熱に襲われ、体調を見事に崩している。

 

ということで、最近はサプリメントに凝っていて、こちらを毎日飲んでいる。とはいえ、休息が何より。今日はゆっくり休もう。

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www.kyowahakko-bio-campaign-1.com

 

おすすめのサプリがあれば教えてください。

“The four most expensive words in the English language are, 'This time it's different.'”

四つの単語でできた言葉の中で、最も高くつくものは「今度ばかりは違う(This time it’s different.)」である。

これは米国の投資家でウォール街の伝説的なファンドマネジャーもあるジョン・テンプルトンの格言である。マーケットのトレンドに対して今度ばかりは違うと食ってかかると結果的に大損につながるということだ。別の言葉でいえば、一回性はなく歴史は繰り返すということだ。

さて、投資の格言から始まった本日のブログではあるけれど、この歴史の再現性が今日の北朝鮮に見えてならない。つい先日ハルビンの731部隊を訪れたから尚更ではあるけれど、現在の北朝鮮の状況がかつての日本が置かれた状況に酷似して見える。日本が国際社会から禁止されている細菌兵器を作ったように、北朝鮮は核兵器をつくり世界を脅かしている。そして世界との経済のパイプもたたれ孤立が深まっていく。世界から孤立し、天然資源を絶たれた日本がとった行動はパールハーバー(真珠湾攻撃)だ。

このまま、北朝鮮が孤立し極限の状態になったときに、かつての日本がとったような行動をとってしまうならば、世界は本当に恐ろしい状況に追いやられる。太平洋戦争時代の不幸中の幸いとは、まだ科学技術の発展レベルが低かったということだ。核兵器はアメリカしか持たなかったということだ。もし1億玉砕の日本が当時核兵器を持っていたら、地球は破滅していただろう。

そして、それに類似した状況が現在の北朝鮮というわけだ。不運にもアメリカの大領領トランプ氏は、国内での人気が今一つ。そこで新しいテーマ(外敵)ができるのは、国民の注力を外にそらすのに格好の餌である。思えば、クリントン、ブッシュも、皆外敵をつくることで、国内の不祥事・不人気のガスを抜いた。だからこそ、トランプ氏も、北朝鮮をたたくモチベーションがあるわけだ。こう考えると、北朝鮮の独裁社会も恐ろしいが、民主主義も実に恐ろしい仕組みだ。

北朝鮮が他国に少しでも現実的に攻撃をした場合、その直後にアメリカにボコボコにされると思うが、そうなったら北朝鮮も特攻的に隣国に弾道ミサイルを発射するだそう。中国、韓国、そして日本にも少なからず被害が出てしまう可能性がある。ソウルは北朝鮮の国境から50㎞しか離れていない。日本の日本海側には柏崎刈羽原発がある(新聞によると9月2日は、再稼働への合格がでたとのこと)。

平和な社会がずっと続いた日本だから、テレビのニュースがどこかの地域のお話にも聞こえそうになるが、現在アジアが置かれた状態は、極めて緊迫した状況にある。歴史が繰り返さないことを祈るばかりだ。

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Departure

中国東北地方の旅が終わった。あっという間の1週間だった。大連、旅順、瀋陽、長春、そして哈爾浜(ハルビン)。電車で移動した距離は2000kmを優に超えただろう。この短期間でこれだけの都市を回れたことは、正に文明の利器のおかげだ。一つ一つの街に深い深い歴史があり、今があり、そして未来がある。非常にタイトなスケジュールではあったけれど、「エイヤ!」の思いでタイミングを探し、構想し、スケジュールし、このプロジェクトを完走できたことをまずは祝したい。

旅をしている間には毎日日記をつけた。そこではかつての日本と中国との歴史的な関係、そして現在へと繋がる因果関係を自分なりに描いたつもりだ。このブログを読んでいる方の中で、中国という国に興味を持ってくれたり、見方・考え方が変わったり、あるいは日本がかつて歩んだ道、満州国が辿った軌跡のことを考える切欠にしてくれる方が少しでいてくれたら、それは僕にとって喜びだ。

きっと、僕はこの満州という地、遼寧省、吉林省、黒竜江省に来ることはもうないかもしれない。まず、プライベートで来ることはないだろうし、仕事でもなかなかチャンスはないかもしれない。だからこそ、日本人として、日本がかつて夢を追い求めた大地を踏みしめることができたことは非常に意義深いことだ。

今回の旅を通して痛感したこと。それは中国という国の大きさだ。それは物理的な国家の広さもあるけれど、僕の意味しているものは経済的な大きさだ。もちろん、中国(とりわけ東北部)においては、衛生面やサービスの質をはじめとして多くの点で日本が“圧倒的”に先んじていることは言うまでもない。しかし、人々の消費意欲、そしてそのボリュームは日本を遥かに凌駕していることは紛れもない事実だ。大連の人口は700万人、瀋陽800万人、長春700万人、哈爾浜1000万人。こういった巨大都市が中国各地に100か所以上も存在している。そして中国の消費はこれから更に増加していくだろう。既に日本のGDPの2倍を超えて成長する中国経済は、近未来においてアメリカを抜き、世界経済を牽引する存在となるだろう。15億人ともいわれる中国という国が生み出す経済力を人類は無視することはできない。

そして、中国の特筆はその無尽蔵な消費の部分だけではない。実際に様々なイノベーションにおいても日本より先に行っている。例えば電子マネーの活用だ。今回、様々なレストランに行って経験したことだが、多くの人がwechat(微信)で決済を済ませている。お店がそのインフラを持ち、人々が既にそのライフスタイルをもっている。店員も「wechat(微信)でお支払いを」と平気に日本人である僕に話しかけている。その使用方法を知らない僕に対して、「日本人なのに?なぜ?」というくらいの表情をされたことが印象的だった。そう、中国とは爆買いだけの国ではない。テクノロジーやライフスタイルでも、少しずつ(あるいは既に多くの点で)、日本の一歩も二歩も先へ行っている。

中国という国が後進国である時代は既に終わった。思えば、人類が歩んだこの200年間は、西洋諸国が世界のリーダーであったが、それまでの数百年、数千年は、中国が世界経済のリーダーだった。歴史はひとえに繰り返しているだけなのかもしれない。この現実に対して、僕たち日本人は思考回路を変える必要がある。隣国に経済大国中国を持つということをしかと認識し、その地の利を活かして歩むことが、日本で生きる僕たちの営むビジネスや経済に大きなチャンスをもたらすと僕は確信している。

 

どうやら飛行機はもうすぐ成田空港に到着しそうだ。旅はここで終わりだ。大きな感動をもたらした中国に感謝すると共に日本にそろそろ到着だ。

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過去、現在、そして未来

ハルビンに訪れた一つの目的は、中国最北の地でロシアの文明がいかにこのハルビンという地に影響を及ぼしたのかを探るためであることは間違いないが、最大の目的とは日本軍第731部隊の歴史を探ることにある。

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ハルビンの中心から車でおよそ20kmの場所にそれがある。遠い昔、日本軍はこの地で細菌兵器を開発し、人体実験を行った。この事実を知る日本人は少ないと思うが、これは拭うことのできない史実である。

当時、細菌兵器の開発は国際法上禁止される行為であった。にもかかわらず、日本軍は開発と同時に実際に中国各地に細菌兵器を使用した。そして「医学の向上のため」という題目の下、多くの中国人を人体実験の実験台で殺めた。これらは日本の教育では決して学ぶことのない史実であり、日本が国際社会、そして人類に対して侵した最大の過ちの一つである。僕は日本人として、この歴史をしかと認識し学ぶためにこの地にやってきた。今回の旅の終着点でもある。 

タクシーに揺られて40分。ハルビン郊外の静かな住宅地に到着した。今では多くのマンションが存在し、多くの中国人がその地で暮らしている。しかしその一角におどろおどろしい姿をした古い建物と煙突が突如視野にはいってくる。それこそが日本軍731部隊研究機関の一部である。 f:id:Ahead-of-the-Curve:20170902003642j:plain

日本軍は、証拠隠滅のために研究所ごと爆破し、今日見えるのはその残骸の一部だ。そして僕は、煙突を見ながら、そしてその上の青い空を見上げながら少しの間目を閉じた。言葉にはならない重苦しい感情と、それとは相反するような突き抜けた青い空と大地の静けさが、その沈黙をより深いものにした。 f:id:Ahead-of-the-Curve:20170902002717j:plain

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見学中に多くの中国人の見学者を見た。とりわけ今日は多くの小学生や中学生が見学に来ていて、資料館の職員は熱っぽく日本軍の愚行を子供達に伝えていた。日本人がいかにして中国人に対して人体実験を行ったか。細菌兵器をどこに落としたのか?職員の説明は本当に熱を帯びていた。もし自分が小学生のころそのような話をされ、実際に数々の資料を見聞きしたら日本人を悪魔としか思えなかったと思う。でも、遠い昔、日本人は悪魔の様な行為を実際に中国人に対して行った。これは事実であり、日本人である僕たち自身がこの事実を知る必要がある。中国人が日本人を嫌いになるにも理由がある。

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いつの間にか随分長いこと研究地跡にいたようだ。そろそろ時間だ。大連を目指して南下しよう。きっと、僕はこの731部隊の地に将来来ることはないだろう。でも「日本人として、一度でもこの地にこれてよかった」。それが素直な感想だ。そして今を生きる僕たちは、未来を見なければならない。 

東洋のパリ

今回の旅の最終目的地でもるハルビンに到着した。ハルビンはシベリア鉄道によってモスクワへ通じる北東アジアの交通の要衝の一つであり、中国でも最も北部に位置する行政区画国黒竜江省の省都だ。19世紀末まで小さな漁村に過ぎなかったハルビンではあるが、20世紀前半には東清鉄道の建設と共に、ロシアがこの街を開発した。その結果、現在でも欧風建築が数多く残っており、東洋のモスクワ、東洋の小パリといわれるほどに美しい建物が存在している。中央大街が正にその一例だ。ハルビンは、ロシア統治の時代から日本へと引き継がれ、そして中国へと渡っていく。

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最後の写真はユニクロのハルビン支店。街を見渡すと日本の企業の看板、姿はほとんど見ない中で、ユニクロはこの中国の最果ての地で勝負している。